「固有名詞」の力
前回、分類についてのテーマで文章を書いてみました。
昨今のコンピューター業界、まさにこの分類においてすごく混沌としてはいないでしょうか。
メーカーさんも、キャリアさんも、報道の編集者さんも、
これからどういう言葉を使ってどういう未来をリードしていくべきか、
「決めあぐねている」と思わせられる場面が多々見かけられるからです。
それもそのはず、ちょいと一昔であれば用途が明確に住み分けられていた
「パソコン」「ノートパソコン」「携帯電話」「mp3プレーヤー」「ゲーム機」、
そしてその他一過性で存在した特殊なジャンルですらそれぞれの存在意義をもっていました。
ところが今では、あらゆるコンピューター機器が目指す方向性はなんだか曖昧なものぽつんと1つ。
「オールインワンで人の生活やコミュニティを支える万能型ツールになり得ること」
しかしながらこの指針は、人々にとってまだまだあまりに漠然としています。
携帯電話は電話するためのもの、
プレーヤーは音楽をきくためのもの、
ゲーム機はゲームをするためのもの、
今までそれぞれ特定のジャンルに根ざされていたものが突然1つの方向を目指されても、残念ながら人々の多くはその漠然とした変化1つ1つに、すぐにはついてはいけません。
どういったポリシーで皆さんをリードしていくのが正解か、軽々には断言できないのでしょう。
しかしそうやって混沌とした状況の中ですら、
コンピューター機器が別のジャンルの役割を取り合って統合型システムに成長していく波、
というのはどうやら変えようがないようです。技術の進歩が否が応でもそうさせてしまいます。
いずれ人々は何かしらの答えを出すことでしょう。
その時にはもはや何かを定義・分類する言葉はすでに大きな意味を成さなくなり、
最終的に人々の心に「記号」として強く残っていくものは、
もしかしたら「固有名詞」なのかもしれません。
「携帯カセットプレーヤー」のことを誰もが「ウォークマン(SONY独自の商標)」としか呼ばなくなっていた時代が証明しているように、
人々は案外「言葉の定義」のことが気にならなくなる瞬間があります。
事実、「iPod」のことを「俺のオーディオプレーヤーが」なんて言う人は皆無でしょうし、
まさに今も、もしAndroidOSがこれだけのスピーディな展開を見せていなければ
「スマートフォン=iPhoneのことだ」
と人々の脳裏に焼き付けられてしまう可能性はあったでしょう。
計算高いgoogleとしても実際はかなり冷や冷やの滑り込みだったのではないでしょうか。
appleのWEBサイトを是非覗いてみてください。
「スマートフォン」や「PDA」、「プレーヤー」という分類を意味する言葉がほとんどありません。
それを必要としていないということは、彼らが何かを達成したことを物語っています。
appleはただパソコンを作っていた時代から
「これはパソコンというよりMacなんだ」という特殊な固有性を展開していました。
その戦略が報われない時代を耐えて、iPodの巨大ヒットで道を得て今や唯我独尊(?)の輝きを見せているのは、それが良くも悪くも、ある意味この混沌とした世界への予兆だったのかもしれません。
「固有名詞」の強さは、一度波に乗ってしまえばジャンルをも飲み込んでしまうことをすでに私たちは経験しています。
このような既存概念の崩壊が予想される中、
築き上げてきたもの全てが失われる大ピンチであり、同時に頭一つ二つ抜き出せる大チャンス、
各メーカーさんもきっとこのように予見して考えておられることでしょう。
この混沌とした状況がどう落ち着いていくかの成り行きを、どっちつかずの製品で博打を打ちながら見守っているはずです。
果たして、雨が降ってどのように地が固まるか。。。
1人の日本人として私は、
偉大なgoogle、apple、microsoft、その他アジア系企業などの外資から良いところを吸収しつつも、
日本人の心に浸透させ、世界にも通用し得る良質の「固有名詞」を作り上げる存在の一つが、
「国内メーカー」であることに、やはり期待したいものです。
今はまだボコボコにやられていたっていいんです。
その先の先、崩壊の後の再構築を見据えて今は耐えて頑張って欲しい、
そんなエールでもってこのまとまりのない文章を締めたいと思います。